[書籍]動的平衡 [著者]福岡伸一。生命とは?記憶とは何なのか?

本書を読み始める前の私は、著者である分子生物学の博士であり大学教授である人(福岡伸一氏)の書く文章を、「上から目線な」鬱陶しさを感じ。また文学とか読み物と言った意味で、どこか馬鹿にしていたところがあったかもしれない。それは、著者の肩書きからイメージしたもので全く偏見に満ちていた。

実際に本書を読み進めていく中でこの誤りに気づくのに、多くのページを必要とはしなかった。「分子生物学」「遺伝子」「病原体」など全くの門外漢である私のようなものに対して、抽象化した世界を展開して、より平易な言葉で理解を促してくれる。これは、これまで私が読んでその度に落胆した多くの理系本と大きく違う点であった。

書くことが考えを生み、考えが言葉を探そうとする。
「動的平衡」(あとがき)から引用


作家の角田光代であったかと思うが同じようなことをラジオ番組でおっしゃっていた。
「言葉は深い海の底にあり、そのときにふさわしい言葉を潜っていって選びとっている」

理解されない、共感を得られない文章は単に言葉の羅列でしかない。
これまで私を落胆させ続けた理系本の基本的スタンスが「分かる人だけコレの凄さが分かってくれればいいから」という傲慢なものが多かった。
しかし、本書は「私の知っている素晴らしい世界を多くの人に知って欲しい」といった自身の研究分野に対する、深い愛情に満ち溢れている。

実際に本書を手に取り、読んでいただくことを切望しますが、入手への導入になればと思い、以下で一部、その内容を紹介したいと思います。

動的平衡とは何か?

新たなタンパク質の合成がある一方で、細胞は自分自身のタンパク質を常に分解して捨て去っている。なぜ合成と分解を同時に行っているのか?この問いはある意味で愚問である。なぜなら、合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」ということであり、生命とはそのバランスの上に成り立つ「効果」であるからだ。
「動的平衡」(汝とは「汝の食べたもの」である)から引用

私たちが、「川」を見たときに、大きな水の流れを一掴みに意識していると思う。決して、一つ一つの水分子が流れ去って行く様子を「川」としてとらえている人はいないだろう。
私たちの身体も同じで、代謝によって細胞がどんどん入れ替わり。細胞レベルで見た場合に、数日前のその人とは、ほとんど別人になっているという。小さな更新を繰り返し行うことによって、大局として変わりない姿を形作ることができている。

記憶に対する誤解と動的平衡

コンピュータでは、二進法にコード化された記憶が、それぞれの指定番地(アドレス)に磁気、あるいは化合物の変化として記録される。
しかし、このシンプルな記憶モデルは、生命現象を観察すると即座に否定されてしまう。なぜなら、すべての生体分子は常に「合成」と「分解」の流れの中にあり、どんなに特別な分子であっても、遅かれ早かれ「分解」と「更新」の対象となることを免れないからである。
(中略)神経の細胞(ニューロン)はシナプスという連携を作って互いに結合している。結合して神経回路を作っている。
神経回路は、いわばクリスマスに飾りつけされたイルミネーションのようなものだ。電気が通ると順番に明かりがともり、それはある星座を形作る。
(中略)回路のどこかに刺激が入力される。それは懐かしい匂いかもしれない。あるいはメロディかもしれない。刺激はその回路を活動電位の波となって伝わり、順番に神経細胞に明かりをともす。
ずっと忘れていたにもかかわらず、回路の形はかつて作られた時と同じ星座となってほの暗い脳内に青白い光をほんの一瞬、発する。
たとえ、個々の神経細胞の中身のタンパク質分子が、合成と分解を受けてすっかり入れ替わっても、細胞と細胞とが形作る回路の形は保持される。
「動的平衡」(脳にかけられた「バイアス」)から引用

記憶のメカニズムなど、これまで考えたことも無かったように思う。
常に更新を繰り返す、動的平衡の流れの中において、忘れたくない記憶などを留め置く手段として、星座になぞらえた回路の形を獲得したシステムに神秘性を感じる。

小さな頃、身近にあった懐かしい匂いの記憶があったとして。
その記憶の星座が瞬く夜空を、暗い脳内の丘、ひざを抱えて仰ぎ見る、ずっと小さな自分がいる風景は想像するだけでワクワクする。

デカルトの「罪」

彼(ルネ・デカルト)は、生命現象はすべて機械論的に説明可能だと考えた。心臓はポンプ、血管はチューブ、筋肉と関節はベルトと滑車、肺はふいご。(中略)その運動は力学によって数学的に説明できる。自然は想像主を措定することなく解釈することができる。
「動的平衡」(生命は分子の「淀み」)から引用

17世紀フランスを代表する哲学者ルネ・デカルトが、説いた理論で、この考え方は瞬く間に当時のヨーロッパ中に広がったと言う。

私を含めて多くの人が、生命を機械論的に抽象化して理解しているのではないだろうか?
しかし、実際の生命とは「動的な平衡」をもって、より神秘的なものであることを理解し、これまでの考えが完全に思い違いであったことに気づかされた。

アミノ酸はマウスの体内で燃やされてエネルギーとなり、燃えカスは呼気や尿となって速やかに排泄されるだろうと彼は予想した。結果は予想を鮮やかに裏切っていた。
標識アミノ酸は瞬く間にマウスの全身に散らばり、その半分以上が、脳、筋肉、消化管、肝臓、膵臓、脾臓、血液などありとあらゆる臓器や組織を構成するタンパク質の一部となっていたのである。そして、三日の間、マウスの体重は増えていなかった。(中略)
標識アミノ酸は、ちょうどインクを川に垂らしたように、「流れ」の存在とその速さを目に見えるものにしてくれたのである。つまり、私たちの生命を構成している分子は、プラモデルのような静的なパーツではなく、例外なく絶え間ない分解と再構成のダイナミズムの中にあるという画期的な大発見がこの時なされたのだった。
「動的平衡」(生命は分子の「淀み」)から引用

まとめとして


映画「ルパン三世 ルパンVS複製人間」
強烈なインパクトを受けた映画だった。クライマックス近くのシーンで、マモーがルパンに対し「お前はオリジナルのルパンだ!」と叫ぶセリフに何ともいえない安堵感を覚えていた。

たとえクローン人間が作り出されたとしても、つまり準備されるニューロンとシナプスの可能性のパターンが遺伝的に同一だったとしても、そこから何が選び取られていくのかはそれぞれ異なる。刈り取りはまったく個人的な、一回限りの営みなのだ。私たちの人生の固有性はこのようにして生まれる。
「動的平衡」(脳にかけられた「バイアス」)から引用

ルパンの場合で言うと、怪盗、アルセーヌ・ルパンの孫である。という環境がルパン三世を形作ったと言えます。

何を見て、何を読んで、何を感じるか?
将来の自分を選び取る(刈り取り)作業は、自身の行動に左右されることを知ることができました。