たまたまと言っていいのか、槇原敬之の古いアルバムを聴く機会があった。
初期の槇原の詩には、将来への希望・子供時代への郷愁・恋人に対する期待や切なさがギュッと詰まった良さがあります。
本筋に関係ありませんが、いま当時の映像を観るとイモトアヤコは槇原に似ているんだなと思う。(笑)
情景がまぶたに浮かぶ珠玉の描写
若い頃は、「どんなときも」や「NO.1」などの曲が、槇原敬之のなかでは好きでした。
最近聞き直して、いいなとしみじみ思ったのは「北風~君にとどきますように~」。
小さなストーブじゃ窓も、曇らないような夜。毛布を鼻まであげて、君のことを考えるよ。
だけど知らないことばかりで、思い出せることは、ななめ40度から見た、いつもの君の横顔だけ。
さっきより、ひどく窓が泣いてる。カーテンそっと開けて、ぼくは言葉をなくす。
北風がこの街に雪を降らす。歩道の錆びついた自転車がこごえている。
いま君がこの雪に気づいてないなら、だれより早く教えたい心から思った。
最近のプロモーション・ビデオにありがちな俳優さんを起用したイメージ映像を用意しなくても、この歌詞だけで情景を想像することができます。
手の届く距離で君を感じるたびに、カッコ悪いくらい、なにも話せなくなるよ。
明日もし、この雪が積もっているなら、小さく「好きだ」と言っても君に聞こえない。
静かな雪の街を歩いている二人の姿を思い描くことができます。
伝えることのできない、もどかしい青年の気持ちも、痛いほど分かるような歌詞ですね。
良い文章には無駄な言葉がない
大量にわきでてくる言葉を、厳選したあとに残った言葉が詩になっています。
たわむれに「北風~君にとどきますように~」冒頭部分を日記風の文章にしてみます。
けっこうバイトしてるんだけど、ついパチスロに行ったりしてしまうからいつもお金がないんだ。
いま住んでいるのは、どこからかすきま風が入ってきているような、築40年を超える木造のボロアパートで、テレビはあるけどエアコンはない。
冬に頼りにしているのは小さな石油ストーブで、唯一の相棒。こいつは近くによると暖かいけど、とても部屋全体を暖めてくれるような力がない。だから寒い夜は早くから布団にくるまって寝てしまうのが究極の防寒対策かな。
だらだらと書くと、これだけの文字数を費やす背景の紹介文。
歌の歌詞では「小さなストーブじゃ窓も、曇らないような夜。毛布を鼻まであげて、~」に凝縮されていることがわかります。
良い文章は引き算。
重要でない言葉は削る。削りに、削りまくって。これ以上に削ったら意味が分からなくなる、というギリギリのところまで削ぎ落としていったところに残った結晶だけが光りを放つことができるのでしょう。
[Adsense]
まとめとして
良い文章(歌詞)は、圧倒的にシンプルだと思います。
よけいな説明がいっさい入り込むことを嫌い、聴き手が勝手に想像することを挑んできます。
わからない奴はいらないとでも言いたげな潔さがうかがえます。