伊集院静「いねむり先生」

阿佐田哲也の麻雀放浪記を読むと、サイコロを握りしめた手をポケットに、肩で風をきって歩きたい衝動に駆られます。(笑)

あしたのジョーと麻雀放浪記は、漢(おとこ)のバイブルと言えるでしょう。

作家、阿佐田哲也であり色川武大である先生との晩年を綴った、伊集院静の「いねむり先生」は、どこにでもある狂気の入り口を覗き見る事が出来る作品です。
伊集院静 いねむり先生

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作者の狂気の闇と先生のいる風景

女優である妻、夏目雅子を突然の病で失った作家は、自身の中に長年封印されていた狂気の闇に足を踏み入れてしまった。彼の落とす暗い影を知ってか知らずか、先生が連れ出す競輪の旅打ちで、奇しくも先生自身の闇を知り、徐々に作家は再生されていく。

本書で描かれる先生のいる風景は、愛嬌を含んでいてどこまでも温かい。

先生が主人の手からビール瓶を取り、主人のコップに注いだ。主人は両手でコップを持ち、先生、恐縮でございます、と頭を下げた。
乾杯、と先生が主人にむかって言うと、主人ははにかんだように目をしばたたかせた。その表情がとてもしあわせそうだった。ボクには主人の気持ちがよくわかった。
(中略)
ボクと主人は先生を見ていた。
「あんた、先生のお弟子さんかね?」
「いいえ、ともだち・・・、いや、弟子なのかもしれません」
「そりゃ、しあわせだね」
「はい、ボクもそう思います」
「あの人は宝じゃから」
主人は先生を見てぽつりと言った。
ボクはうなずいた。
「ええ寝顔をしてござる」
ボクはまたうなずいた。
「ずっとここにおってもらえんものじゃろうか・・・」
主人がボクを見た。
ぼくは返答のしようがなかった。
「それは贅沢ちゅうもんじゃの。逢えただけで有難いと思わにゃな」
こんなちいさな漁師町に先生のことをこれほど慕っている人がいることにボクは感激した。

競輪は全く分かりません。しかし読むと旅打ちに出たくなります。先生はいませんけど・・・。
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まとめとして

麻雀放浪記を読み返してみたくなりました。
他にも、色川武大名義の作品には触れたことがなかったので、少し探してみようかな?

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