良い文章を生むトレーニングとして、良質な文章を書き写すことは最適です

私と長女の二人で文章の「書き写し」が流行っています。

「般若心経」などの写経ではなく、私は朝日新聞の「天声人語」を、長女は気に入った絵本の本分を書き写していきます。

天声人語書き写しノート
▲写真はイメージです。実際には余った紙の裏面に書きなぐっています。

太鼓持ちの一八が、旦那を取り巻き、ご馳走になろうとするが、逆に一杯食わされる噺だ。
朝日新聞「天声人語」より

小学校低学年の長女にとっては文字に親しむ機会として書き写しは有用です。

大人の私にとっても、一定量の文章を書き写すことで得られることがあると感じています。

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漢字を確認・覚えることができる

普段、キーボードで文字の入力をすることが多くなっています。読めるのに書けない漢字がドンドン増えているようで恐怖を感じます。

前述の天声人語からであれば、古典落語などの噺(はなし)という字は、口へんに新しいと書くんだな!と改めて噛みしめることができます。言葉は口をついて出た瞬間から、その音の振動自体は失われていき、あとは聞いた人の記憶に留まるのみです。常に消え行く運命の言葉でつむいでいく噺(はなし)が、口に新しいとは「言い得て妙」だと感心します。

昨日の自分にチャレンジする

毎日違う文章が掲載される「天声人語」には、速く書き写すことができる日と、画数の多い漢字が頻発して書き写しに時間がかかる日があります。多少の運・不運を飲み込んで、書き写す時間を毎回計測することは単純に楽しい作業です。毎日、昨日の自分とタイムを競うことができる。大人になってしまうと、これはなかなか得がたい体験です。

アウトプットの糧となる

ブログなどの文章を書くこと(書き写すことではない)がアウトプットだとすると、新聞記事を読んだりすることはインプットにあたるでしょう。
人は無(ゼロ)から何かを生み出していくことが難しく、できたとしても、それはとても稀にしか生み出すことができません。この意味でも文章を書き続けていくうえで、良質なインプットに触れることは不可欠であると考えます。

文章を書くことに精通した人であれば “10” のインプットで “3” や “4”といったアウトプットが得られるかもしれません。しかし普通、“10” のインプットから得られるアウトプットは “1” ぐらいでしょう。そうだとすると “5” のアウトプットを得たいときには “50” のインプット量が必要になります。

天声人語のような良質な文章を書き写すことで得られるメリットとして、このアウトプット率を引き上げることを助けてくれます。
一度、書き写しただけでも、句読点などから、読み手のリズムを慮った書き手の意思を感じることができます。また、書き写しの為にスピードを落とした途端、読み飛ばしていた言葉に彩りが出てくる瞬間にめぐり合います。加えて、書き写す作業により、良質な文章を生み出す疑似体験も大きな糧となるでしょう。そういった日々の積み重ねが、“10” のインプットで “2” “3” という良質なアウトプットを生むきっかけとなるでしょう。

まとめとして

私が信じている言葉の一つに「量質転化(量が質に転化する)」があります。質の向上の為には、ある程度の量をこなす必要があります。
量だけを粛々と積み重ねていけばいずれ確実に質は向上するでしょう。しかし私はそこに「向上する意欲」が加われば、質は飛躍的上がると考えます。「量」×「向上する意欲」=「品質」 式に例えるすれば、こんな感じです。

量を10、こなすことができても、そこに向上する意欲が働かなくては単なる10で終わってしまいます。
たとえ量は8しか、こなすことができなかったとしても、向上する意欲が3、掛け合わされれば24にすることができます。

野球に例えてみると、ヒットを打ち、試合で使ってもらうためには、他人より多くバットを振る必要があります。
しかし、漫然と素振りを繰り返すことと、低めの内角を厳しく攻められた場合のイメージを持ちながらバットを振るのとでは、得られる質は雲泥の差となって現われるでしょう。

まずは続けることが大事です。加えて向上心も忘れてはいけないことだと分かります。

私の悪筆の為、書き付けた文章の画像を公開することが憚られました。
今後、私の書いた文字が少しでも見やすくなることを願いつつ、書き写しを続けていきたいと思っています。

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